ペナン島

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ペナン島 リゾート

ペナン島、ここは東洋の真珠と謳われているマレーシアのリゾートアイランドです。

東西15km、南北24kmのちょうど日本の淡路島くらいの大きさで中心都市はジョージアタウン、島の人口は約20万人です。

島ですが本土とは橋で繋がって行き来が出来るようになっています。

中国系の人が多いですが、インド、マレー系の人も住んでいます。その為、仏教、イスラム教、ヒンドゥ教など多様な宗教施設が混在して、独特の文化を作っています。

昔、マレーシアがイギリス領だった事から欧米からの観光客も多く、ホテルもたくさんあります。

ペナン島は最近は長期滞在型のリゾート地としても人気があり、リゾートマンションの建設が盛んです。

ペナン島の魅力は二つの異なった顔を持っている事です。一つはアジアンテイスト満載の屋台や雑貨店が軒を連ねる活気溢れる街、美しいビーチでトロピカルドリンクを飲んだり、ゴルフやマリンスポーツに最適な楽しい顔です。

もう一つは大英帝国の影響を色濃く残したジョージタウンを中心として、古きイギリスと中国の異文化が融合した不思議な雰囲気が満ち溢れたミステリアスな顔…どちらも心躍る魅力に溢れています。

マレーシアの中心部、クアラルンプールからは飛行機で45分、毎日数便が飛んでいてアクセスも充実していますし、近隣のタイやシンガポールからも就航しています。

日本からの観光客も年々増えているようです。ホテルも充実しているので様々な年代の観光客の人に喜ばれています。

是非一度訪れてみたいリゾートの一つですね。

ペナン島の歴史は?

ペナン島の名前はビンロウジュというヤシ科の植物の名前に由来します。

かつてはスルタンが支配していたこの地を、東西交易の拠点として手に入れようとしたのはイギリスでした。

16世紀にはポルトガル人も来訪していましたが、1786年に東インド会社のフランシス・ライトがケダ州のスルタンから、外敵の侵略から守る事と引き換えに島の統治権を割譲させたのです。

こうしてペナン島はイギリス領になり、名前もプリンス・オブ・ウェールズ島となりました。中心地のジョージタウンは当時の国王ジョージ三世にちなんで付けられました。

ペナン島はこれ以降、インドや中国の特産品を運ぶ船の為の休息地として、また必要物資の補給地として重要な位置を占めるようになりました。

マラッカ海峡は太平洋とインド洋を結ぶ重要な航路です。マラッカ海峡の北の出入り口にあたるペナン島は貿易や文化の交流の中心地となりました。

その後、漢民族と対立していた福建省出身の中国人、シャム(今のタイ)に追われマレー人、紛争から逃れてきたインド人などにより今のペナン島の基礎が築かれていきました。

特に当時はイギリスによって開発が進められ、建設現場の労働者、船の荷物運搬人など労働力が不足していた事も各地から人が集まった理由だと思われます。

人が集まればそれだけ多岐に渡った宗教があります。ジョージタウンには仏教寺院、イスラムのモスク、ヒンドゥーの寺、キリスト教の教会が混在して、それぞれが溶け合った独特の風景を形作っています。

ペナン島の楽しみ

近代になってからのペナン島はアヘンの取り引きが盛んな時代もありました。

そして第二次世界大戦では日本の統治下に置かれ、インド洋における日本海軍の重要な作戦拠点となりました。

第二次世界大戦が終わり、再びイギリスの植民地となりましたが、1957年にマレーシアが独立を果たしました。

ペナン島の対岸のウェレスリー地方は工業地帯として発展するようになり、ペナン島は自然を生かした観光地として多くの人を惹き付けています。

しかし2004年のスマトラ沖地震ではペナン島でも住宅の浸水などの被害がありました。しかし比較的軽かったために復興も早く、現在では以前と変らない賑わいを取り戻しています。

今のペナン島はマリンリゾートとしてはもちろん、定年退職後の第二の人生を送る場所としても人気があります。

ペナン最大の都市ジョージ・タウンにはイギリス統治時代の面影を今に伝えるチャイナタウンやインド人街などコロニアル風の建物が残り、モスクや中国寺院などとともに独特の雰囲気を醸し出しています。

街には屋台が並びマレー、インド料理をはじめ、中華やイタリアン、フレンチなど世界各国の料理を楽しむ事が出来ます。

日本料理店も20箇所ほどあり、コンビニ、ショッピングセンターもあります。

治安も安定していますし、物価も安く、銀行、病院施設も充実しており、日本人には暮しやすい所だと言われています。

もちろん短期滞在の人にもゴルフやダイビング、フィッシングなど様々な楽しみ方があります。